水堀や空堀だけじゃない?お城の堀の種類について徹底解説

古くから洋の東西を問わず、お城は国や都市の重要な防衛拠点として、主に敵の侵入を防ぐことを目的に作られてきました。しかし、日本のお城と西洋のお城を比較した際、明確に違う箇所がひとつあります。それは、堀の存在です。西洋のお城には堀がありませんが、日本のお城にはほぼ必ず堀があります。これは、堀という防衛手段が単に敵の侵入を防ぐためだけではなく、防災や運輸といった別の役割も担っていたからです。

それでは、そもそも堀とは一体どういう歴史を持ち、どのように発展していったのでしょうか。今回は、お城の堀の種類を始め、その歴史や役割などについて詳しく解説していきます。

そもそも堀とは?西洋城郭との違い

堀とは、特定の拠点の周囲に掘られた溝のことです。

その起源は、弥生時代まで遡ることができます。その時代の堀は、主に害獣などから集落を守る目的で築かれていました。その後、時代を経るにつれ、外敵とする対象が獣から人へ変化。武士が政権を握った中世以降では、戦を想定して拠点を作らなければなりませんでした。そこで、お城の周囲に堀を張り巡らし、敵の侵入を阻む防衛の最前線としての役割を担わせたのです。

また、日本は水害や地震が多い土地柄であるため、災害から重要拠点を守るという目的で堀が築かれることもありました。その点、西洋は日本に比べて自然災害がそこまで多くなかったため、堀を築く必要がありません。その代わり、西洋城郭には周囲に高い壁が設けられていますよね。このお城を囲う高い城壁は、アニメなどにも使われる西洋城郭の象徴的なモチーフ。そうだとすれば、堀の存在は日本のお城を象徴する防衛・防災手段だと見ることもできるでしょう。

堀と土塁の違い

中世以降の城郭には、堀以外にもさまざまな防衛設備が作られました。

その中でも、特に堀と関係性の深い設備が「土塁」です。堀が土を掘削した溝であるのに対して、土塁は土を積み上げて作った防壁です。特別な技術も必要なく、残土を使って簡単に作れる土塁は、より高い防衛機能を持つ石垣が開発されて以降も日本の城郭に常備される防衛設備のひとつとして残り続けました。しかも、堀を作る際には大量の土が出ます。その土を積み上げれば土塁を作ることができるので、土塁と堀はセットで作られることが基本だったのです。

水堀と空堀の違い

作られる時代に応じて、堀にはさまざまな形態が生み出されるようになります。

特に戦国時代以降、城攻めの戦術の進化やお城を建てる場所の変化によって、防衛設備としての堀も多様な進歩を遂げることになりました。

まず、堀の種類は大きく分けて「水堀」と「空堀」に分類されます。水堀とは、堀の内部に水を張ったもので、近世以降の城郭に多く見られる堀の形式です。一方、空堀とは堀の内部に水がない、がらんどうの状態の堀のことで、山城に多い堀の形式となります。

近世城郭に水堀が多く、山城に空堀が多いのは、主としてお城が建つ地形によるところが大きいといわれています。近世城郭は標高の低い平地に築城されることが多かったため、堀を作れば地表から自然と水が湧いてきます。そのため、意図せずとも水堀になってしまうのです。一方、山城の場合は標高が高く、堀を作っても水は湧いてきません。山城に水堀を作るとなると、わざわざ水を引いてこなければならないので、山城には自然と空堀が多くなるというわけです。

また、近世の城郭は単なる要塞ではなく、武士や農民の居住区域でもあります。山城のように一時的な防衛拠点ではないため、お城の周囲に水堀を張ることで、城内の排水設備や住民が利用する運河としても活用できました。

もちろん、防御設備としても性能は高く、水堀を持つお城に敵が侵入するためには、堀を泳ぐか船を漕いでいくしか方法がありません。いずれにしても、敵の動きは著しく鈍くなるため、城内からは敵を狙いやすくなります。水の中に逆茂木や杭を仕掛けるなど、水堀を渡っての侵入を困難にするような工夫も講じられたので、水堀の存在によって敵の侵入をより簡単に防ぐことができたのです。

敵の侵入を防ぐ工夫!さまざまな堀の種類

戦国時代には、多様な形態のお城が登場します。石垣が造られるのもこの時期ですし、いわゆる近世城郭と呼ばれる、城塞と都市機能を融合させたようなお城が誕生するのもこの頃です。そして、それに伴って、堀の種類も多様化していきました。

具体的にどのような堀があるのか、代表的な掘の種類を3つ紹介します。

・横堀(よこぼり)
・竪堀(たてぼり)
・堀切(ほりきり)

1つずつ見ていきましょう。

横堀(よこぼり)

まず、最もスタンダードな堀の形式が、「横堀(よこぼり)」と呼ばれる種類です。

横堀とは、斜面を直角に掘削して作られた堀のことです。平坦地の曲輪を囲うようにして作られ、そこに水を張れば水堀に、空のままにしておけば空堀となります。

竪堀(たてぼり)

斜面に対して直角に掘る横堀に対して、斜面に対して平行に土を掘って作られるのが「竪堀(たてぼり)」です。竪堀の役割は、堀を登って侵入しようとしてくる敵の横移動を防ぐことにあります。竪堀があることで敵は横に動きながら堀を登れなくなるので、城内からより敵を狙いやすくなるといった効果があります。

竪堀を何本も連ねた「畝上竪堀(うねじょうたてぼり)」は特に有名な竪堀の形式で、城内の守兵は堀を真っ直ぐ登ってくる敵兵を狙い撃ちするだけで良いので、防衛効率の非常に優れた堀として知られています。

堀切(ほりきり)

お城の防御力を高める工夫は、敵が侵入しやすい尾根方面にも施されます。尾根は現在でも登山道として活用されるように、戦国時代にも山城を攻める際に通る道として使われることが多くありました。そのため、お城の防衛策としても、尾根からやってくる敵の侵攻を防ぐ工夫が必要だったのです。そのために作られたのが、「堀切(ほりきり)」という堀です。

堀切とは、尾根続きの道を断ち切った堀のことです。「掘る」というより、道を「切って」作る堀だったので、堀切という呼称が付けられています。

尾根筋は細長い一本道となっているので、その道が途中で断ち切られていれば、迂回して別の道から侵入するというわけにもいきません。そのため、堀切を作っておけば、敵は尾根から侵入することができず、引き返すしかなくなってしまうのです。また、堀切は単なる防衛設備としてだけではなく、曲輪と曲輪を区切る仕切りのような役割で作られることもありました。

堀の深さにも違いが!堀底の種類

一面に水を張ってしまう水堀の場合、堀の幅を広くすることによって敵の侵入を困難にするという工夫が凝らされていました。その一方で、水堀の水深はせいぜい2~3m程度で、人の足がつかない程度の深さになっていることが多いようです。

これに対して、空堀の堀底は非常に深く掘られているものがほとんどです。底を深く掘った空堀なら、侵入する敵はほとんど堀に飛び降りるような恰好になります。堀底が深ければ深いほど、敵兵は堀に降りるだけでも命がけとなるので、より効率的に侵入を防ぐことができたのです。

また、高度な空堀は単に堀底が深いだけではありません。

どのような堀底があったのか、次の順に詳しく解説していきます。

・薬研堀(やげんぼり)・片薬研堀(かたやげんぼり)
・毛抜堀(けぬきぼり)・箱堀(はこぼり)
・障子堀(しょうじぼり)

それぞれ見ていきましょう。

薬研堀(やげんぼり)・片薬研堀(かたやげんぼり)

例えば、V字の形に掘る「薬研堀(やげんぼり)」は、堀底が狭く堀に侵入した敵の動きを封じるという効果があります。薬を調合する際に使う「薬研」という道具に形が似ていることからその名が付けられたといわれ、堀底がカタカナのレの字になっている「片薬研堀(かたやげんぼり)」も、同様の機能と構造を持つ空堀の一種です。特に片薬研堀は堀底だけではなく堀幅も取りやすいので、対岸と一定の距離を保ちながら迎撃できるというメリットがあります。

毛抜堀(けぬきぼり)・箱堀(はこぼり)

V字やレ字になっている薬研堀に対して、堀底の形が丸みを帯びたU字のものを「毛抜堀(けぬきぼり)」、そして箱のように直角のものを「箱堀(はこぼり)」といいます。毛抜きの道具から名前が取られた毛抜堀は、堀底が丸く敵兵が壁を登りにくい構造になっている点が特徴です。一方、台形をひっくり返したような形の箱堀は、幅を広くして対岸との距離を確保しやすい堀底だといえます。

障子堀(しょうじぼり)

そして、戦国時代に鉄砲が伝来すると、それ以前とは異なる考え方の堀が必要になりました。鉄砲は弓矢や投石より射程距離が長いため、なるべく堀幅を広く取って対岸との距離を確保する必要が生じたのです。戦国末期から近世に移行する過程で、堀底の主流が箱堀に移行していくのは、そのような鉄砲伝来の影響も大きかったといえます。実際、近世城郭の定番である水堀は、十分な幅を確保するため、堀底を箱堀にして作られる場合がほとんどでした。

そして、堀底の変わり種といえるのが、後北条氏の居城に多く用いられた「障子堀(しょうじぼり)」または「堀障子(ほりしょうじ)」と呼ばれる形態です。障子堀とは、箱堀の底を一定の感覚で四角く区切ったもので、敵の機敏な動きを妨害するという効果がありました。細かく区切られた堀底によって敵は足止めを食らい、留まっている敵兵は格好の的に。よじ登ってくる敵も狙い撃ちにできるという二重の構造になっています。また、区切った堀底に泥を敷き詰めることで、さらに敵の動きを封じるという戦法が取られていたこともあるようです。

ちなみに、障子堀という名前の由来は、堀の形が障子の木枠の部分を模したように見えるからという説明がされることも多いですが、実はそうではありません。というのも、障子とは本来、仕切りのための道具の総称だからです。ですから、木枠に和紙を張って部屋の明かり取りなどに使う現代の障子は、正式には「明かり障子」や「引き障子」と呼ぶ必要があります。つまり、障子堀の名前の由来は、明かり障子の木枠の部分に形が似ていたからではなく、「仕切られている堀」というような意味で名づけられたという理解が正しいといえます。

日本のお城における堀の存在感!堀に注目してお城を見学してみよう

お城に作られた堀は、日本の城郭に古くから伝わる伝統的な防衛設備です。時代に応じて種類も増え、特に戦国期は堀の進化が目覚ましい時代だったといえます。

江戸時代に移行して平和になってからも、築城の際にはほぼ必ずお城とセットで堀が作られました。日本のお城において、それだけ堀の存在は重要だったわけです。そのため、お城を見に行く機会があったら、立派な天守閣を見学するのも良いですが、実際に戦が行われていた時代に思いを馳せつつ、堀の機能や構造にも注目してみてはいかがでしょうか。