「日本のお城」と聞いてまず思い浮かぶのは、堂々した佇まいの「天守閣」でしょう。天守閣が国宝に指定される姫路城や松本城をはじめ、日本の歴史を象徴する建造物として、世界各国から観光客を集めている城郭も少なくありません。
現在日本にある数々の天守閣は、かつての姿をそのままに残しているものや、近現代の技術によって復元されたものなど、さまざまな保存状況に置かれています。国宝指定されている天守閣のほかにも、建物の美しさや建築方法、文化的背景などの面で見どころのある城郭が各地に点在しています。
一方で、城郭の魅力は天守閣だけではありません。天守閣がなくとも、高い歴史的価値を認められていたり、観光スポットとして人気を博していたりする城郭は枚挙にいとまがありません。
この記事では、天守閣についての基本的な知識を押さえたうえで、天守閣がある城郭の分類や、天守閣がない城郭の見どころを紹介していきます。
天守閣とは
「お城」と「天守閣」はあまり区別されずに用いられるケースも多いですが、天守閣は城郭のなかでも特に「象徴的な建造物」を指します。城郭は「敵の侵攻を防ぐための領土および建物・設備」の全体を含むものであり、天守閣はそのうちで「城の顔」となるような建物のことをいうのです。
なお、日常的な場面では「天守閣」という呼び方が用いられる傾向にありますが、学術用語としては「天守」という呼称が定着しています。
長い歴史のなかで、天守閣は必ずしも「城郭のスタンダード」であり続けたわけではありません。古代から中世にかけては、侵攻を防ぐための塀や掘に囲まれた集落に、政務・軍事拠点としての機能を与える形が多く見られ、複数の階層からなる巨大な建造物は珍しかったといえます。
現在「お城」と聞いてイメージされる天守閣は、主として戦国時代以降に建てられるようになったとされています。戦乱の世において大名としての権力を誇示する必要性が生じ、また建築技術の向上といった背景も重なり、「城主の権威を象徴する堂々とした建造物」が築かれるようになったのです。
天守閣の機能
天守閣にはまず「軍事的機能」が期待され、特に城郭の内外を見渡し、戦況を把握するための建物として用いられました。さらに飛び道具を防ぐ堅牢な城壁や、侵入を防ぐ仕掛けなどによって安全を確保する役割も担っていたと考えられます。
天守閣が居住スペースとして使用された例は稀ですが、食糧の備蓄や武器倉庫などに用いられたり、儀式や迎賓のために利用されたりと、軍事以外の面で活用されることも珍しくありませんでした。
さらに、「権力の誇示」という側面も、実用上の機能と同様に重視されていたと考えられています。高層かつ堅牢な天守閣により城主の軍事的・政治的な力を示し、豪華な意匠によって象徴性を高めるなど、支配・統一のシンボルとして位置づけられていたといえるでしょう。
天守閣と本丸の違い
天守閣と本丸は、「お城のメインの場所」という意味で混同されることがあります。天守閣は「建物」を指しますが、本丸は「区画(エリア)」を指す言葉です。
城郭において、石垣や堀などによって区切られたエリアのことを「曲輪(くるわ)」といいます。戦国時代以降、メインの曲輪である本丸を中心に、二の丸、三の丸と補助的な曲輪を配置する構造が多く見られるようになりました。
城郭のなかで、城主や家臣が生活するための建物を「御殿」といい、配置される場所に応じて「本丸御殿」「二の丸御殿」などと呼びます。一般に、御殿は公的な政務を行うための「表御殿」と、主に生活空間として用いられる「裏御殿」に分けられます。
なお、御殿が現存している城郭は全国でも珍しく、二条城(京都府)の二の丸御殿、高知城(高知県)の本丸御殿、掛川城(静岡県)の二の丸御殿、川越城(埼玉県)の本丸御殿の4つのみです。
天守閣の残っている城
天守閣が築城当時の形で残されている城郭は、全国でわずか12城のみであり、これらは「現存12天守」と呼ばれます。いずれも国の重要文化財であり、そのうち5つは国宝として指定され、世界に誇る文化遺産として位置づけられています。
現存天守をもつ城郭は、その地域のアイコンとして観光スポットとなっているケースが多いです。天守閣以外の建物や周辺環境まで含めて歴史的価値を認められている例も珍しくなく、城下町一帯が歴史的情緒あふれる街並みとして残されているエリアも見られます。
■国宝5城
松本城(長野県)・犬山城(愛知県)・彦根城(滋賀県)・姫路城(兵庫県)・松江城(島根県)
■重要文化財7城
弘前城(青森県)・丸岡城(福井県)・備中松山城(岡山県)・丸亀城(香川県)・松山城(愛媛県)・宇和島城(愛媛県)・高知城(高知県)
なお、現存12天守については、こちらの記事でも詳しく紹介しています。あわせてご参照ください。
天守閣のある城
天守閣を近現代に復元した城郭のなかには、忠実に当時の姿を再現したものから、史実とは異なる形で天守閣を建てたものまで、さまざまな分類があります。以下では、それぞれの区分について概要を解説していきます。
復元天守
かつて存在した天守閣を、当時の資料にもとづき再現したものを「復元天守」といいます。
復元方法によってさらに区分され、工法や材料、内部構造に至るまで再現したものを「木造復元天守」と呼び、鉄筋コンクリートなど現代の工法により外観のみを再現したものを「外観復元天守」と呼びます。
木造復元天守は非常に珍しく、全国で5つしかありません。東北3名城の1つに数えられる白河小峰城や、築城の名手として知られる藤堂高虎・加藤貞泰らの技法を職人が再現した大洲城をはじめ、木造復元天守は建築技法や歴史的価値の面で高く評価されています。
■木造復元天守5城
白石城(宮城県)・白河小峰城(福島県)・新発田城(新潟)・掛川城(静岡県)・大洲城(愛媛県)
一方、外観復元天守は全国に9つです。名古屋城や熊本城をはじめ、観光名所として名高い城郭も多くあります。
再建にあたり、法令上の基準や観光地としての適性から、細部に変更が加えられるケースも見られます。
■外観復元天守9城
松前城(北海道)・会津若松城(福島県)・大垣城(岐阜県)・名古屋城(愛知県)・福知山城(京都府)・和歌山城(和歌山県)・岡山城(岡山県)・広島城(広島県)・熊本城(熊本県)
復興天守
かつて存在した天守閣を再建するにあたって、資料の不足により建築技法や意匠に推定箇所があり、当時の外観が正確に再現されているかが定かではないものを「復興天守」と呼びます。
全国に復興天守は14城あり、天下統一にあたって豊臣秀吉が拠点とした大阪城や、北条氏の本拠地である小田原城など、歴史的に大きな役割を担った城郭や、その地域のランドマークとして愛される城郭が多く見られます。
■復興天守14城
忍城(埼玉県)・小田原城(神奈川県)・高田城(新潟県)・越前大野城(福井県)・高島城(長野県)・岐阜城(岐阜県)・岡崎城(愛知県)・大坂城(大阪府)・岸和田城(大阪府)・尼崎城(兵庫県)・福山城(広島県)・岩国城(山口県)・小倉城(福岡県)・島原城(長崎県)
模擬天守
もともと存在していなかった天守閣を建てたり、以前の場所から移し替えたりなど、史実と異なる形で築城されたもの全般を「模擬天守」といいます。全国に多数存在し、企業法人などによって建てられたケースなども含めると、正確な数を把握することは難しいでしょう。
模擬天守にも、景観や建築技法の面で高く評価されるものは少なくありません。たとえば岐阜県の郡上八幡城は、別の城郭を参考に天守閣が再建されていますが、司馬遼太郎に「日本で最も美しい山城」と評されるなど、季節に応じた味わい深い表情で知られています。
その他、歴史的には城郭が存在せず、もっぱら観光地として建築された「熱海城(静岡県)」をはじめ、地域振興の役割を期待されているケースも見られます。
天守閣のない城
天守閣のない城郭としては、歴史のなかで天守閣が失われたまま再建されていないもの、そもそも築城時から天守閣が存在していなかったものが挙げられます。天守閣が失われていながら御殿が国宝指定されている二条城や、城跡が世界遺産に指定されている首里城をはじめ、天守閣が無くとも高い歴史的価値を認められている城郭は少なくありません。
天守閣が失われた城郭
天守閣が消失してしまった城郭であっても、見るべきポイントが多く残されている城郭は全国にいくつも存在します。
たとえば兵庫県の竹田城は、織田信長と毛利氏の勢力争いにおいて戦地とされた城郭です。江戸時代に廃城になった後も、石垣をはじめとする大規模な城跡が残されており、現在では日本有数の規模を誇る山城として知られています。秋から冬にかけて、城跡から見下ろす雲海も見どころの1つです。
京都府の二条城は、1750年の落雷により天守閣を失ったものの、文化的・歴史的価値の高さから世界遺産として認定されています。歴史的には、徳川家康の征夷大将軍の任命式典や、徳川慶喜による大政奉還が行われ、「江戸幕府の始まりと終わりの地」として象徴的な意味を担っています。
さらに、国宝に指定される二の丸御殿は、建物の内外に見られる豪華な意匠や、格式高い庭園をはじめ、見どころの多いスポットです。
天守閣がもともと存在しない城郭
築城当時から天守閣が存在しない城郭としては、北海道の五稜郭が有名でしょう。幕末に築城された国内初の西洋式城郭であり、旧幕府軍が新政府に対して起こした「箱館戦争(五稜郭の戦い)」の地となりました。新撰組副長・土方歳三最期の地としても知られています。
現在は公園として開放されており、周辺を一望できる五稜郭タワーをはじめ、函館エリアの人気スポットとして親しまれています。
また、沖縄県の首里城は、琉球王国における政治・軍事上の重要拠点であるとともに、宗教的な聖域として大きな役割を担いました。海を望む長い城壁や、文化複合的な建物が特徴ですが、2019年の火災によって複数の建造物が焼失し、現在では2026年の再建を目指した復元工事が開始されています。首里城公園は開放されており、今でも琉球文化を感じられるスポットをめぐることができます。
天守閣の有無や、復元方法によって城郭は分類されるものの、その区分は必ずしも城郭の価値を決定づけるものではありません。築城当時の歴史的背景や、消失した天守閣が復元されるまでの経緯などを知ることで、お城めぐりはいっそう充実していくと考えられるでしょう。